伊達政宗

戦国時代から江戸初期の大名。出羽国(山形県)米沢城で生まれる。
幼少の頃に天然痘を患って隻眼となり、『独眼竜』と呼ばれたことはあまりに有名。
18歳で家督を継いでから瞬く間に勢力を伸ばし、奥州の約半分を手中に納めた。
秀吉・家康に臣従した後は常に中央から警戒され続けたが、領地を守り通し、仙台藩の基礎を確立する。
ある日、家康が、江戸城の見取り図を見せ、「そちなら何処から攻めるか?」と問いかけた。政宗は即座にお茶の水を指し示し「この高台から大砲を備え付け、江戸城に向けて放たせます」と答えた。実際お茶の水から江戸城大手門までは1700mしかなく大砲の射程距離だった。この指摘を受けたが如く、元和6年(1620)二代将軍秀忠は、江戸城東北の備えとして神田山を掘削して外堀とする大工事を命じた。なお、水道橋からお茶の水にかけての絶壁に囲まれた堀は仙台藩が工事を担当したため、『仙台掘』『伊達堀』とも称した。