徳川秀忠

江戸幕府二代将軍。家康の三男として三河国浜松城(静岡県)で生まれる。
関ヶ原の合戦での遅参や夫人の浅井氏に頭が上がらなかった、という逸話が目立つが、堅実で思慮深い秀忠の性格がこれからの天下泰平の世には後継者にふさわしい、と家康や老臣たちから支持されたという。家康が駿府に隠居したのちは父子による表裏一体の強力な政治体制で豊臣氏の影響が少なからず残っていた時期に徳川300年の基礎を固めた。
ある日、秀忠が鷹狩り(あるいは工事の見回り)の際、神田川の北岸にあった高林寺(現在は駒込に移転)に立ち寄り、境内の湧き水でお茶を点てて飲んだところ、ことのほかおいしかったので、将軍家の茶の湯に用いられることになった。
これが「お茶の水」の名の由来である。なお高林寺の湧き水はその後の外堀拡張工事で河川敷の内側となり、地名だけが残った。