加藤高明

明治・大正の政治家。第24代内閣総理大臣。
尾張(愛知県)の下級藩士の子として生まれる。名古屋洋学校を経て、東大法学部を首席で卒業。三菱社に入社し、イギリスに渡った。帰国後、本社副支配人となり、岩崎弥太郎の娘と結婚。このことからのちに政敵から「三菱の大番頭」と揶揄された。その後、政治家に転職し、外務大臣だった大隈重信のもとで、秘書官や駐英大使などを歴任し、明治33年、第4次伊藤内閣の外務大臣となり、日英同盟に尽力する。第二次大隈内閣の時には外相として、第一次世界大戦への参加を強く訴えた。その後、憲友会を結成し、総裁(党首)となり、大正13年、東大出身者初の内閣総理大臣となる。普通選挙法、治安維持法、日ソ基本条約などを成立させた。
大正15年、肺炎をこじらせて、国会内で倒れ死去。享年66歳。
駿河台の邸には立派な庭があり、名石が多かったという。