薩摩治郎八

大正・昭和初期の実業家。木綿の輸出で成功し「日本橋の木綿王」と呼ばれた薩摩治兵衛の孫。18歳でイギリス・オックスフォード大学に留学したのち、フランスに渡る。実家からの豊富な資金をもとに華やかな社交を繰り広げ、パリの社交界で「バロン・サツマ」(バロンとは男爵の意)とあだ名された。画家マリー・ローランサンや詩人のジャン・コクトーらと親交を結ぶ一方、当時パリに留学していた藤田嗣治などの日本人芸術家の支援や文化活動の後援に惜しみない私財を投じた。日仏交流のキーパーソンとして活躍し、1927年フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を授与される。第二次世界大戦中もパリに滞在し、1951年に帰国したが、その頃には全財産を使い果たしていた。しかし、その後も日仏の文化交流に貢献する。駿河台にあった薩摩邸は1925年に治郎八が一時帰国した際に建てられたもので、天井にフレスコ画が描かれ、シャンデリアが下がる舞踏室をそなえた華麗な大邸宅だったという。