西村伊作

和歌山県新宮市出身。幼い時に濃尾大地震で両親を亡くし、森林王だった母方の実家を継ぐ。広島の明道中学校で学ぶ。日露戦争に反対して社会主義思想を持ち、幸徳秋水や堺利彦ら平凡社による社会主義者と交流するようになる。
1912年、長女が小学校を卒業したのを機に、教育のあり方を考え、与謝野寛・晶子夫妻や画家・石井柏亭と共に文化学院を創設。当時の中学校令や高等女学校令に縛られず、一流人たちによる芸術・文化・学問の教育を行う自由で快活な学校を目指した。豪華講師陣たちの中には、有島武郎、菊池寛、山田耕作、芥川龍之介、川端康成らの名が見える。しかし軍国主義の時代の中で1943年、伊作は不敬罪で捕縛され、文化学院には閉鎖命令が下り、校舎は一時捕虜収容所として接収された。戦後は文化学院を再興し、各界で活躍する多くの卒業生を送り出した。