服部広太郎

植物学者。尾張藩士の子として、市ヶ谷の藩邸で生まれる。
維新後、駿河台の古い旗本屋敷を譲り受けて移り住み、錦華小学校(現・お茶の水小)を卒業した。当時淡路公園の場所のあった開成中学を経て、一高(現・日比谷高校)、そして東京帝国大学理学部に入学した。大正5年、皇太子だった昭和天皇の「御学問初め」に際し御用掛に任じられる。大正13年に赤坂離宮内に「生物学研究所」が設けられるとその御用掛にも任じられ、植物の研究に熱心だった昭和天皇の研究に協力した。昭和4年に昭和天皇が和歌山を訪れた際には、植物学者・南方熊楠に引き合わせてもいる。昭和30年、大学受験を目的とした予備校「服部学園」を邸内に開校し、とくに美術方面に力を注いだので、「御茶美」の名で有名になった。