二代目市川左團次

歌舞伎役者。初代左團次の長男。
常に演劇革新の先頭に立って活動したことで知られる。
『毛抜』『鳴神』など歌舞伎十八番の復活上演に力を注ぎ、のちに新歌舞伎と呼ばれる『修善寺物語』『元禄忠臣蔵』など新しい歌舞伎も積極的に上演した。
小山内薫と提携して「自由劇場」という新劇の活動もさかんに行った。
また昭和3年には史上初の歌舞伎海外公演をソヴィエトで成功させている。
ニコライ堂の鐘の音を慕って駿河台に移り住み、ここで亡くなった。
その葬儀は長らく町内の語り草になるほど盛大だったという。