松尾芭蕉

江戸初期の俳人。伊賀国上野(三重県)出身。
伊賀の大名・藤堂家に仕えた後、江戸へ出て、連歌師・俳人として有名だった西山宗因の談林俳諧に学び、『桃(とう)青(せい)』を名乗る。当時まだ無名だった芭蕉は4千石の大身旗本である中坊家の家臣と親戚だった縁で、屋敷内の蔵に身を寄せていた。のちにその蔵は『芭蕉蔵』と呼ばれた。その後、関口に移り、神田上水の工事に携わったと言われている。さらにその後、深川に庵を結び、芭蕉庵と名づけた。
以後、全国を旅しながら優れた紀行文を記し、『蕉風』と呼ばれる独自の俳諧を作り上げた。旅先の大阪で病死し、門人たちの手で滋賀県大津市の義仲寺に埋葬された。
≪伝・芭蕉作≫  皀(さい)角(かち)坂    皀(さい)角(かち)の実はそのままの落葉哉(かな)
(皀(さい)角(かち)坂は東京デザイナー学院付近にある坂)