徳川綱吉

江戸幕府五代将軍。三代将軍家光の四男。上野国館林の藩主だったが、兄の死に伴ない、将軍となる。武家諸法度を改定、末期養子の禁の緩和など、時代に即した幕府の体制を整えた。また朱子学を官学とし、儒学者・林羅山が上野忍岡に開いた私塾と孔子を祀った聖堂を湯島に移して幕臣の学問所とした。自らも非常に学問に熱心だった。絢爛豪華な元禄文化が花開いたのもこの頃である。その一方、政変のあと、側近たちに政治を委ねたため、風紀はゆるんだ。
その治政下に発令された『生類憐みの令』は庶民たちの反感を買って、『犬公方』などと俗称されたが、『生類憐みの令』は実は数百の法令の総称で、犬の保護に関する法令はその一つに過ぎないことはあまり知られていない。儒教を尊び、人々に「仁心」を説こうとした綱吉の思いがこもった法令として再評価が進んでいる。