前田玄長

江戸中期の旗本。高家(こうけ)(幕府の儀式・典礼を司る役職)。
公家・右大臣三条西実(さね)条(えだ)(春日局の縁戚)の孫、押(おし)小路(こうじ)大納言公音(きんね)の次男。
元禄15年(1702)17歳で京都より召し出され、五代将軍綱吉より旗本に列せられ、三条西実(さね)条(えだ)の正室が前田(まえだ)玄以(げんい)(豊臣五奉行の一人)の娘であることに因み、武家名字である「前田」を名乗る。宝永6年(1709)、高家に任じられ、現在の順天堂大学図書館付近に800余坪の居屋敷を与えられた。五代綱吉から九代家重まで歴代5人の将軍に仕え、1731年からは高家肝煎役(きもいりやく)(まとめ役)を21年間勤め、京都御使、伊勢神宮、日光東照宮などへの将軍家御名代などを勤めた。
以後、高家前田家は明治20年(1887)まで、178年間、同地に屋敷を構えた。