西園寺公望

明治の政治家。第12、14代内閣総理大臣。公家の名門・西園寺家の当主。
幼少の頃は明治天皇の遊び相手を務めた。幕末・維新の頃はまだ十代の青年でありながら名門ゆえに要職に就く。まだ尊皇攘夷の気運が残る御所に公卿の中で初めて洋装・散髪して参内して、公卿たちの反発を買い、辞職。その後、フランスに留学し、自由思想に触れ、のちにフランスの首相となるクレマンソーらと知り合う。その一方で放蕩もずいぶんし、数々のエピソードを残している。帰国後は自由民権運動に傾倒し、パリで知り合った中江兆民らと共に活動するが、明治天皇に内々に諌められあっさり身を引く。明治15年、伊藤博文の憲法調査のための欧米視察に随行したのち、明治27年に第二次伊藤内閣の文部大臣となった。明治33年には立憲政友会の立ち上げに参加。明治39年と44年に内閣総理大臣となった。駿河台の屋敷の近隣の旅館は、地方から西園寺に請願に来る人たち(いわゆる『西園寺詣で』)の常宿だった。