重野安繹

薩摩(鹿児島県)出身。昌平校に学び、藩主島津(しまづ)斉(なり)彬(あきら)の造土館の教授となる。この頃、同僚の使い込みにより、遠島(島流し)となり、西郷隆盛と知り合う。薩英戦争の時には戦後処理を担当した。維新に際して、西郷や大久保利通らより国事に関する相談を受け、その名を慕い、入門する者は多かった。明治政府に仕えて文部省(当時は湯島聖堂内にあった)に入り、以後要職を歴任する。『大日本編史』史巻
95冊の編纂に従事し、明治21年、文学博士となる。明治23年には貴族院議員となった。門人であった岩崎弥之介のために静嘉堂文庫の開設に尽力している。
明治40年には81歳で、オーストリア・ウィーンで開催された万国学士院連合総会に出席した。明治43年、84歳で駿河台の自邸で没した。