北沢楽天

日本で最初の職業漫画家。埼玉県大宮市出身。
錦華小学校(現・お茶の水小学校)を卒業後、日本画と西洋画を学んだ。
楽天の才能に目を付けた福沢諭吉の紹介で、横浜の英字新聞『ボックス・オブ・キュリオス』に入社。同紙の漫画を担当していたオーストリア人、ナンキベルから欧米漫画の技術を学び、その帰国後は後任者となった。1889年、時事新報に入社し、漫画記者となる。1905年、初のカラー漫画『東京パンク』を発行。政府や警察などの国家権力への風刺を扱い、英語・中国語も併記してアジア各国でも販売されたが、1910年の大逆事件を機に社会主義批判の風刺漫画に転じる。その後、新人漫画家の育成にも力を入れた。戦時中、宮城県大崎市に疎開するまで、現在の佐々木研究所のあたりに住んでいた。戦後は故郷の埼玉県に戻り、1955年に死去。