沢辺琢磨
2023年2月15日
|By seppen-meikei
高知県出身。本名、山本数馬。
坂本龍馬の従兄弟で、武市半平太に師事。筋金入りの尊王攘夷の志士だった。
のちに北海道に渡り、函館神明社の宮司となる。当時の函館のロシア領事館は、領事のゴシケーヴィチがとても日本びいきだったため、日本人の往来もさかんで、澤邊琢磨も領事の義理の息子に剣道を教えるため出入りしていた。領事館付きの司祭として来日していたニコライが日本でロシア正教を布教をしようと考えているのを知ると、「邪教を広めようとしている」と激怒し、抜刀。ニコライは「ハリストス教(ロシア正教)をよく識らないのに邪教と決め付けるのはどうか」と逆に問いかけ、「ならば話を聞いてから考えよう」と刀を退いたという逸話が残る。1868年、澤邊は日本人初のロシア正教信徒となり『パウエル』という洗礼名を授けられて、その後のニコライの布教活動を補佐した。