大司教ニコライ

ロシア西部、ベラルーシとの国境に近いスモレンスクの村の司祭の子として生まれる。本名イオアン・デミトリヴィチ・カサートキン。
サンクトペテルブルグの神学校で学び、聖職者としてエリートコースを歩んでいたが、当時まだ開設されたばかりだった日本領事館付きの司祭を公募する文書を読み、1861年25歳で来日。日本でロシア正教を広めようという固い決意のもと、日本文化を熱心に学び、幕末から明治にかけ各地をまわって積極的に布教活動を行った。明治24年(1891)、駿河台の高台に大聖堂が完成。当時来日していたロシア皇太子の訪問を受けるはずだったが、大津で皇太子が日本人に襲撃される事件が起きる(大津事件)。ニコライは負傷した皇太子に、見舞いとして日本人女性信徒が描いた聖像画を贈った(現在エルミタージュ美術館蔵)。日露戦争勃発時は厳しい立場に追い込まれたが帰国せず、1912年75歳で没し、1970年、日本の聖人に列聖された。亡くなったときには3万人を超える信徒がいた。