白瀬矗

秋田県出身。寺の住職の子として生まれ、僧侶となるために上京するが、のちに軍人志望に転換した。
明治14年(1881)、千島探検隊に参加するが、それは暴風雨、壊血病、食糧不足などで多数の死者が出る過酷なものだった。明治45年(1912)には、自らが隊長となり、日本人探検隊として初めて南極大陸に上陸する。しかし、それもまた、仲間との不和や資金不足、食料不足に悩まされた極めて過酷なものだった。さらに帰国後は後援会が資金を遊興飲食費に当てていたことが発覚。白瀬は隊員に支払う給料すらなく、莫大な借金を背負うことになる。戦前まで駿河台に住んでいたが、借金返済のため家財を売り払い、当時は極めて珍しかった南極大陸上陸の実写フィルムを抱えて日本各地や満州、台湾、朝鮮半島を20年かけて講演してまわった。
南極観測艦『しらせ』は彼の名に因んだもの。