井上達也

阿波(徳島)の大名、蜂須賀家の侍医の家に生まれる。
蘭医学を修め、とくに眼科で才能を発揮し、日本における西洋眼科医の始祖と言われた。当初は三崎町で開業していたが火災に遭い、当時人家まれな林の高台だった駿河台の旗本屋敷跡に移ってきた。明治22年に当時としては珍しい煉瓦作りの洋風の建物に改築し最新鋭の機器を揃え一大偉業を成し遂げた。
当時、患者として通っていた夏目漱石が、井上眼科の看護婦に失恋して松山へ行った、という逸話がある。なおサンクレール商店街の人工滝の前に立つケヤキの大木は、達也が孫・正澄氏(8代目院長)の中学入学の記念に植樹したもの。(当時はこの場所に自宅と病院があった)
明治28年に亡くなり、跡を養子の達七郎氏が継いだ。