大田南畝

江戸後期の狂歌師・戯作者。号は四方(よも)赤(あか)良(ら)、蜀(しょく)山人(さんじん)など。
下級役人の子として牛込に生まれる。天明狂歌の盟主、戯作(娯楽小説)文壇の
大御所として江戸文化をリードするが、寛政の改革によって筆を折り、能吏に転じた。46歳の時、昌平校で林(はやし)大学頭(だいがくのかみ)の試験を受け、御目見得(おめみえ)以下(将軍に拝謁できない幕臣)の中では首席で合格。ちなみにこの時、御目見得以上での首席合格者は遠山金四郎景普(遠山の金さん)だった。湯島聖堂の対岸にあった自邸を『惟(い)林(りん)楼(ろう)』と称し、ここで没した。
≪辞世の句≫ 今までは人のことだと思ふたに 俺が死ぬとはこいつはたまらん

『狂歌』とは短歌の形式を借りて日常生活や歴史上のできごと・人物などを、皮肉をこめたり、洒落たりして面白おかしく詠んだもの
≪太田道潅の故事より≫山吹のはな紙ばかり紙入れに実のひとつだに無きぞ悲しき
≪百人一首から≫むらさめの道のわるさの下駄の歯に はらたちのぼる秋の夕暮れ