小松宮彰仁親王

伏見宮邦家親王の第八王子。
1858年、仁孝天皇の猶子(相続を目的としない養子)となり、仁和寺の第三十世門跡を継ぐが、その後還俗(げんぞく)する。戊辰戦争では奥羽征討総督として指揮を執り、西南戦争にも出征した。陸軍大将、近衛師団団長などを務め、日清戦争では征清大総督に任じられ、旅順に出征している。
明治34年(1901)のイギリス、エドワード7世の戴冠式には明治天皇の名代(代理)として出席した。日本赤十字の総裁なども勤めている。
現在の明治大学の一帯に広大や洋風の宮殿があり、リバティータワーのあたりは宮家の馬場だった。
弟の寛永寺十五代山主公現親王(後の北白川宮能(よし)久(ひさ)親王)がいた上野公園内に騎馬像がある。